メッセージを聞いて

雨雲がいつの間にか



今日、パリで同時多発テロが起こりました。多くの死者が出ました。
これは日本においても起こりえることかもしれません。
創造主から離れた悲惨(このことは先日福田先生から学んだ受け売りです)は、いつの時代も憎しみを産み出しました。


私は今の時代においてどのように生きるべきかを黙想しています。
それは民族や国や宗教の中で私がどのように生きるかというテーマではないのです。


むしろ私が私を愛し、妻を愛し、子どもたちを愛し、与えられた職務に邁進し、地域の方に仕えていくというテーマです。
そこで示されているのはエペソ人への手紙5章25節とエステル書4章16節、そしてダニエル書3章16〜18節です。
これらが照らすのは「イエス様のように生きよ。」というメッセージです。
この光に炙りだされるのは金太郎飴のように「私」です。どこまで切ってもいつまでも出てくるのは「オレ」なのです。
そんな私が十字架の下でへりくだり、子羊の血で贖われ、愛に生きる者へと変えられ続けるよう祈りください。
私の周りで愛が溢れますように。


「ありがとう」と「ごめんね。」「いいよ。」が溢れますように。