SRと的当て

昨日「ボタンの掛け違い」と書いた正体は、
手紙の中身でした。
hi-b.a.と私のために祈ってくださっている皆様へ
一筆書いて投函しました。

日中は日差したっぷりでした。

夕方、息子と一緒にアメリカ土産の弓矢で遊びました。
射った矢が的にめがけて一直線に飛んでいき、
スパンと命中するのは爽快そのものでした。

空はみるみる内に、形と色を変えていきました。


手紙を書くのは、楽しいものです。


どうしても似たような文章になりますが、
相手のことを暫くの束の間、思い起こすからです。


お元気やろか?
長いこと会ってないな?
どんな言葉を添えればいいかな?
祝福がありますように!!


などを考え、カキカキします。
そして、「岡田」と書く時は
祝福の念押し、いえ祈りみたく書いております。


恐らくは祈り、支援くださる皆様も
同じような心持ちでいてくださるのではないかと想像しています。
互いが互いを祝福し合っているのです。


私のような祈り支えていただいて者にとっては、
喜びも、
感動も、
奇跡も、
恵みも、
祝福も、
そして、
悲しみ、
困難、
試練や壁も、
祈ってくださっている皆様との共有(財産)そのものです。
なので、それらをできるだけオープンにし、
祈って頂き、
祈りの結果を分かち合っています。


私にとって手紙は
受けた恵みと祝福、奇跡を
シェアする大事な
ツール・溝・カレント・狼煙?!です。


だから、手紙を書くことは楽しいのです。